偏見と多様性 [Bias & Diversity]

【多様性を認める為に】

近年、社会や企業は偏見差別の撤廃や多様性を謳っているが、
その中の人たち、一人ひとりが如何ほどまでに、
個人の嗜好性や感情とは別のところで受け入れ、
本当の意味で成熟した大人としての器を兼ね備えているだろうか。

多様性を受け入れるということは、
個人の権利を徹底的に認めるということだ。
つまり、平たく言ってしまえば、
人が何をしようと、どんなスタイルであろうと、
自由だと認めることができるかの器量の問題である。

我々は好むと好まざると、
持ちつ持たれつの関係で成り立っている。
例え不要だと軽視している様な人々でも、
巡り巡って自分が享受しているこの世界を支えていたりする。

もし個人の権利を徹底的に認めることができれば、
それはこの相互依存の尊重に繋がるし、
個性を保ちながら纏まることだって可能である。

どんなに嫌悪し、否定しようが、
存在している事実は変えられない。
不必要に攻撃しても不毛だし、
相手に口実を与えるだけである。

とはいえ、ムリに仲良くする必要も無いだろう。
どうすればいいか。

敬って、遠ざける。
敬遠し、適度な距離を保つというのも、
ひとつの受け入れ方だと考えている。

別の方法として、利用価値を認め、
上手く利用することで、融和することもあるだろう。
だが、これは本質的な解決法では無いし、
永続的なものとは考えにくい。

やはり重要なのは、一人ひとり個人が、
違いを楽しむ好奇心を持つことや、
他人に惑わされない意志を持って生きることで、
自己価値が満たされる状況を促すなど、
心に余裕が持てる様になること(器の拡張)だろう。

いずれ、全てが受け入れられる様な
そんな境地に至る日が来るかもしれない。
そして全人類がそうなれば世界から差別がなくなるだろう….!

だがそれよりも、この世界の現状は、
権力者や支配層がその体制維持の為、
大衆が団結しない様に意図的に背別を煽り、
率先して分断工作をしているので、
この様な体制の体質をこそ、まず変えるべきだろう。

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